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執筆者の写真Masako Takashima

100年前にやっていたことで、100年後にもあった方がいいなと思う事を残したいだけ


※100年にやっていたこと=昔からやっていたことの例えです。


おばあちゃんの時代からやっている事を伝えています

私が伝えているのは、アロマテラピーを含む自然療法。精油やハーブ、その他の自然の素材を組み合わせて日常も使っている事を伝えている。自然の素材だけでなく手のひらと、心なんかも使う。


逆を言えば、手のひらと心があれば、自然の素材を揃えなくても出来ちゃうこと。外に一歩踏み出せば、窓を開ければ、もうそこにあるものを使う。


トリートメントや講座を通じて、精油や自然素材の利用法を伝えたり、身近な人への触り方を通耐えている。そして心身が崩れる事は怖くないよ!などとしゃべっている。時々このブログの口調が(笑)怖いみたいだけど、それは真面目に伝えたいんだ!!という想いが「簡単なキラキラした言葉」でぼやけるのが怖いからかもしれない。自然療法=安全、危険がゼロ、みたいに伝えている人と混同して欲しくないからかもしれない。


自然は優しいし、美しいし、癒しをたくさんくれるけど、時と場合によってネガティブな事もする。でもそれは、植物は自分が生きる為に(植物自身の為に)その成分(人間から見ると毒という成分)を持ったわけで、彼らは人間の為に生きているわけではない。植物の作用を利用したいなら、人間の方が自分で知識としてその塩梅を測る知恵と経験を持つしかないわけだ。その塩梅は、お料理と一緒で自分の量を自分で知って決めるしかない。


こんなに真面目に語ってしまうのは、自然療法だけはどんな商売が流行ろうと、医学が進歩しようとも、全人類知っておいて絶対に損は無いと思ったから。未病に対応する術を持って、心地よく健康に暮らす。病院に行かずとも、どうにかできるって凄いと思ったから。


個人で使えば家庭の医学。各家々の使い方を考える為には知識と経験が要る。自然療法の人と自然の関係やこれまでの歴史を紐解けば解くほど、怖さとすばらしさのスパイラルにハマる。



ただひとつずつ積み重ねて来ただけ

目の前の小さな事を積み重ねるって本当に恐ろしくすごいことで、「小さな積み重ねが、いつかとんでもないものになる」って、私が大好きなイチロー先生がおっしゃっているけど、本当に何でもそうで。それなら、毎日、小さなことでいいから、幸せなこと嬉しい事を見つける。学ぶ。・・・それが積み重なったらどうなるんだろうって思っている。いい事と言うのは、身体の為に良い事。心の安らぎの為に良い事。ワクワクすること。


でね、小さな幸せの積み重ねは「やる」んじゃなくて、「気付け」ばいいって気付いたのね。


その感覚は、100年前と変わらないんだろうと、自然の歴史やお寺や神社の歴史、絵画の歴史を調べていくうちに感じるようになって。何百年の歴史の中を見ると、ヒトの欲とか、病気(パンデミック)で困っている様子、幸せに感じる瞬間、って昔からそうたいして変わっていなくて、ってことは100年後もそうたいして変わらないはずで、ならば今起きている悪い事にも、良い事にもそう慌てたりせずに、ひとまず自分が生きるであろう残り30年くらいを目安に、変わらずにあるものをただ、繋いでいく。その繋がりが永遠につながっていけばいい、って思うようになったの。


必要以上に傷ついたり、無理をしたりせず、(それも死ぬほど頑張って、壊れるくらいやって気付くわけなんだけど)、でもココゾの時は、とことんやる時はやる。


そうした毎日を、繋いでいって、時々振り返っては「ああ♡」と思ったりする。地味でいいから自分の中で満足しながら生きれればいいと思う。そこに自然療法というものがあると、大きく崩れることなく過ごせるんだと思う。

 
私のアロマテラピー/精油の選び方

私が精油を使う時、2つの方法があって「香りを重視」と「効能(成分)を重視」。

その使い分けは「体調」「心」、どちらを整えるのに使うのか?ということ。


もちろんバチッっと分けられるものでは無くて、「体調と心」はリンクしているから、大事な事は丁寧に観察し、話を聴き、自分を内観し、精油の種類とその量、使い方を考えて、利用する。


<例えば>

  • 寒い時、暑い時は、それに耐えられる様に。梅雨の時期でも、鬱々としないで雨を楽しめるように。


  • 風邪を引いた、熱が出た、虫に刺された、肌が荒れた、そんな時はまずは炎症に対処しつつ、次にいやな目に合わない準備を。


  • 人の言葉にショックを受けたり、今ある状況に不安で眠れなくなった時も、それを受け止め(受容)、今の自分の心身を確認して(状況を並べてみる)、腹をくくって次に進めるように。


ただ植物の香りって不思議で、成分を重視したつもりでも「ああいい香りだ」と思う事が多い。体調と食事がリンクするように、植物を使うと体調が分かり、体調が分かると植物を選びやすくなる。


そのバリエーションを増やすために、学び続けているわけ。


学びをやめない。伝えるのをやめない。

勉強会、講座、を続けるのは私もまだまだ学びの途中で、知らない事が山ほどあるから。いや、もうこれで充分なんて死ぬまでないよ。相手が植物である限り、「不思議な事、分からない事」はどんどん出てくるけど「これが答えです。決まりです」と言い切れることってあんまりなくて。「たくさんある正解のひとつです」となる。


協会があるのは「これが答えです」という目安を決める為。それが良い悪いじゃなくて「目的・理念」があるから枠が出来る。その目的の人にアナウンスしているだけ。そしてそれを選ぶのは、それを選んだ本人。だからもちろん協会を並べれば矛盾が出てくる。そこでも自分が、どれを選ぶかっていうだけ。


私は、協会の枠を超えて「全部を知りたい、全部を並べてそのたくさんの中から選びたい」と思っている。だからたくさん学ぶしかないわけ。日本でしか通用しない、協会が変わると話が分からない。なんてことはイヤだ。


永遠に通用する方法が自然療法。それを残す。

死んだ後も有った方がいいもの。それを残したい。子供が、痛い時、苦しい時、自分でどうにかできる方法を残したい。窓を開ければ、一歩外に踏み出せば、本を開けば、手を当てれば、解決できることが沢山あるよ!!ということを残していきたい。 自然療法を学んで、何百年も前に使われていた方法で私が今解決出来ている事がたくさんあるんだから、きっとこの先100年も役に立つはず。ここで、途絶えさせたくない。


その自然のバトンパスの途中に、自分が少しでも携われたら幸せだな・・・・と思う。

さ、今日も外を歩こう。窓を開けよう。









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